リサイクル親父の日記

第730話 おじさん同士の会話に仙台のリサイクル親父はハマっていて・・・

2009/09/04

世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、マア、面白いものだ。
商売はリサイクルショップだが、店で出会う人たちと会話するのを楽しみにしたりもしている。
定年退職して老境を宮城で住むことにして、身体はまだ丈夫だからバイト的に自営の仕事もしている。

住んでいる街は宮城県南部の小さな市で、東京にも近くて自然の景色も良い所である。
仕事で仙台に足を運んでいるが、月に1度は俺の店に立ち寄る。
珍しい調理器具や食器を買う、今日は太めのズボンとナルミの皿を買った。

生活パターンにはそれぞれ理屈があって自分流の考えに徹している。
彼の話を毎回聞いていると、俺流と相通じるものを感じてしまうことがある。
大概は俺は聞き役に回るのだが、時々俺流も披瀝したりするんだ。

すると、彼と俺は相性がイイのか話が盛り上がってしまう。
根本的な生き方が個人主義であり、旺盛な批判精神であり、世の中の出来事を時事放談如くに語り合っている。
歴史や現代史、民族、海外の出来事など話題は尽きないから、時間が足りない感じもする。

都会から独り田舎に移住したから、そこでは気心の知れた友人などはいない。
偶然に入った仙台のリサイクルショップの親父、俺のことだが、と何故か考えが合う。
話をしても違和感はないし、余計な気を使う必要もない、自然にリラックスできて会話ができる、そんな状況だろう。

20~30年前に会社の上司と取引先の社長やらがホテルのロビーやレストランで雑談に花を咲かせていた。
俺は営業マンだから同席していたが、単に聞き役程度の役回りで座っていた。
やはり世の中の出来事を話しあっていたのを思い出す、今、そんな風に俺自身がやっているのだ。

通り一遍に適当に世間話をするのは営業的迎合であれば意外に簡単だが、利害なく本音で話し合うのは少ない。
相手の事情を把握できないと、どんな事情を抱えているか分からないし、相手の気分を損ねる場合も考えられる。
大人同士が知り合って、しがらみと利害関係なく本音トークができるのは貴重なのだ。

テレビ番組や歴史物語、それの感想を語り合うが、俺も同様に見聞きしている内容が多いので共通している。
自己分析をすれば、そんな出来事について、自分流の解釈をして、尚且つ、自分自身が納得したいのだ。
その納得を誰か知り合いが理解してくれて共有してもらえれば一種の喜びになるし、納得は自信になる。

人は独りでは寂しいし、価値観の共有ができれば嬉しいのかも知れない。
価値観の共通認識ができる人、分かち合える人が居るに越したことはない。