リサイクル親父の日記

第899話 自然の力に畏怖しないとならず、天災の後に思う

2010/03/05

ハイチの地震、チリもそうだ。
世界のあちらこちらで毎年何か、かにかとんでもない天災が起きている。
人間には己の力ではどうしようもないことがあるものだ。

当たり前だが、他には災害がいつ襲ってくるか分からないということもある。
一人ではどうにもならないことがあるから、救いようもないということかも知れない。
自分が天災や災害にあっていないことに僅かな救いがあるが、独善的でもある。

たくさんの人が亡くなったりすると暗澹たる気持ちになってしまう。
それで思うのだが、自分が生きていることに感謝したくなる。
同時に、生きている意味を考えてしまうし、生きることに真剣にならないといけないと考える。

偶然と幸運が今の俺が生きている証しである。
学生時代に3月の海で遭難した経験があるが、キャプテンだった俺が大きな判断ミスをした果てだった。
低気圧襲来の予測時間が早まり、練習切りあげ時間が遅れてしまった。

毎年、春3月に必ず思い出す苦い経験であり、その反省を心の中に浮かべてしまう。
それ以来、俺は人命を大変大切にするようしている。
たかが仕事、たかがビジネス、たかが商売、、たかがXXX、命に勝るものはないと考えているし、命が最優先である。

リサイクルショップの仕事でも少しでも危険があれば、安全第一、危険回避・防止を重要に考えている。
時には、仕事が遅くなったり回り道をしたりするが、それは問題ではない。
周りから見れば、やれないことはないのに、とか、もう少し頑張ればできるのに、という思いもあるだろう。

以前の現場で大型業務用冷凍冷蔵を搬出困難と考えて置いてきた。
もったいない、売れば20~30万円なのにと非難されたが、毅然として無視をした。
人手でできる作業の限界というものがあるから、金のためだけで仕事をしているのではないという考えなのだ。

商船乗りだったから海の恐ろしさは身をもって分かっている。
台風に遭遇して3日3晩も荒海で揺られる恐怖は荷度と味わいたくない。
自然のパワーの圧倒的なことは筆舌尽くしがたいし、今でも時々思い出すとビビってしまう。

俺が生きているのも偶然と幸運の賜物だし、人生は泡沫であると思っている。
独立して仕事を探して飯が食えているのもラッキーなだけかもしれない。
食うや食わず路頭に迷っている人が巷にはいるんだ。

そんな人生だから自然に対して畏怖しているが、同時に生きていることにも感謝している。