リサイクル親父の日記

第976話 おしむをおしむ、おしむを惜しむ、オシムを惜しむ、なんて

2010/05/24

俺はサッカーのにわかファンです。
それも日本代表しか見ないときてて、サッカーファンなんて自称するのもおこがましいかも知れない。
Wカップに日本が出場する頃からだし、サッカーを語るのは本当のファンの方からは怒られそうだ。

だが、スポーツ全般には世間の親父同様に関心が有り、何かを言いたい時もある。
ドイツ大会後に監督にオシムがなった時には、どうして外国人が選ばれたのかと分からなかった。
ところがオシムが選抜した選手を見た時に、どうして選んだかの理由を語った時から俄然オシムに興味が湧いた。

それから「オシム語録」を読んで益々興味は深まったし、少し理解ができるようになった。
オシムが倒れて退いたのは周知の事実だが、俺は彼が考えた日本人のサッカーとはどのようものかを知りたいと思った。
彼のサッカー人生と哲学、どうして日本という国に来てJリーグの監督になったのだろうか?

特にサッカーというスポーツは国民性を把握しておかないといけないような団体スポーツらしい。
野球との大きな違いがここにある、個人レベルだけを上げても足りないのだ。
日本を知らない人が日本を理解することから始めるのだ。

日本人の特性を学び、特徴をどのように生かすかを考えて、そして、選手を訓練するという作業だ。
歴史も違う、食べ物も違う、生活環境も習慣も違う、全てが違うのだ。
違いを知りぬいて、Wカップ出場を目指すチームを作るのである。

毎試合後にインタビューで語るオシムの言葉は、一言一言に考えさせられたし、嫌みもジョークもとってもユニークだった。
彼が選手やマスコミ、日本国民に訴えた言葉は、実に蘊蓄に富んでいた。
日本人評であり、選手であろうが人であろうが人間とは何かとか、生きることの考え方を説いていたと思えた。

1試合が終わると次の試合では、課題が徐々に解決に向いていたのがハッキリと分かった。
その目指す目標に選手とファンを誘っていたのだ。
俺の期待も正にそこに有ったのだ、だから、次の試合がとっても楽しみだった。

彼が異国日本、東洋の端っこの国へ赴いた決断とチーム育成の情熱は並々ならぬものがあったろう。
果てしない宇宙への旅の様な決意だったろう。
ヨーロッパ各地のチームからは引く手あまたであるが、サッカー後進国日本へ来たのだ。

勝算があるかどうかは問題ではない、その決断の勇ましさとチャレンジ精神の逞しさに俺は感心と感激を覚える。
これからWカップに挑む岡田ジャパンは、それはそれでイイ。
もう少しじゃないが、オシムの日本サッカーチームをもっと見たかっただけ・・・