2010/06/04
猪瀬東京副知事が嘆いていました。
日本の大学生が昼食の時、1人で便所の便座で食べている人がいるという報道番組を見たそうだ。
理由は簡単で、友達がいない自分を同級生に見られたくない、知られたくないからだそうだ。
NHK教育テレビで日曜夕方にハーバード大学の人気授業、哲学の公開講義を見た。
サンデル教授と学生の議論が白熱する様に、日米の学生の差の大きさに驚いた。
日本の学生のひ弱さを知りショックを受けたと言ってた。
確かに俺も若い人に対してひ弱さや交渉能力の低さを感じていた。
振り返ってみると、例えば俺の若い時はどうだったのかな?
俺らは、俺は自由気ままに生きたいたと思える。
もう一つ思うことは、当時は皆がもっと貧しかったということか?
俺の両親は子供の教育とかに構っていられなかった。
食べるのに精一杯であったと考えるのが妥当だろう。
構ってもらえなかったために俺らは、否が応でも自立的に遊んでいた。
過保護なんてあり得ないことだし、勝手に遊んでいたから、それで隣近所の子供たちと一緒だった。
その小さな世界で小さいルールができて、実践的小さいマナーなどを身につけたような気がする。
それから40~50年経ったが、この間のことは何がどう変わっていったかと考える。
日本は経済的に豊かになったこと、生活にお金がかかる社会になってしまったこと・・・
そして、子供に甘くなったこと、嫌なことを押し付けないこと、やりたいことだけ認めること・・・
親が子供の生活すべてに対して口出しをして干渉するようになってしまった。
子供を自分の愛玩具のように大切にする超過保護が普通になってしまった。
子供が心配だからと、何にでも口を出し手を出し金を出し、子供を甘やかしてきた。
可愛い子には旅をさせろ。
ライオンは子を崖から突き落とす。
子供に自立を教えられなかった社会全体の風潮の結果ではないだろうか?
同時にひ弱い親が育てたために子供もひ弱くなってしまったかも知れない。
甘さとひ弱さを持ってしまった親たちが・・・なんて、勝手に思うだけ。