リサイクル親父の日記

第997話 篆刻とか扁額とか掛軸とか、サッパリ読めないんです

2010/06/15

リサイクルショップを始めてから、分からないことを分からないと言うことに躊躇はしなくなった。
サラリーマン時代には、会社で扱う新造船や修繕船工事について、分からないことがあると羞恥心が物凄く出た。
独立して自営業をスタートしても、自分の扱う物には知らないことがあってはいけないと自覚していた。

だから熟知してセールストークすることが基本であったし、お客さんの質問や疑問に即答できるのが当たり前だった。
いつも完成品であり新品を手がけるから、欠陥や不可抗力であっても瑕疵についてもギャランティすべだと考えていた。
ある事情である時から中古水産加工機械をブローキングすることになった。

倒産した会社の管財人による動産処理やリース物件処理だったのだが、それは逆転の発想でベースを構築するしかないのだ。
機械が作動するかどうか不明であるから、その状態で何ぼで売れるかを考察するしかない。
同時に売るためには、買うお客さんが何ぼ出してくれるかを探らないとならない。

新品価格を調べて、悪条件を全部マイナス査定していく、そして更に買うお客さんの利益や手間代、リスクをマイナスする。
そうすることで中古実勢価格は決まるかも知れないし、ニーズを喚起できるかも知れなかった。
そんな経験がリサイクルショップをやっていて大変役立っている。

篆刻とか扁額、掛軸では書体が崩れている場合が多くて、俺の様な無知文盲にはサッパリ読めない。
読めないから商品として扱えないかと考えると、手に入る物を商材にしないのは勿体ないことである。
それではどの様に販売するかと考えれば、分からないことは分からないとして売るしかないのだ。

この商材は、雰囲気がイイとか、全体の感じがイイとか、気分的な要素が求められる。
素直にそれを感じて、そして、状態など全体を考えて価格を決めるようにしている。
センスが要るかも知れないが、安価にすることで少々の不明はご容赦願うしかない。

もう一つ対処している方法として、詳しいお客さんにアドバイスいただいたり、一緒に協議したりしている。
10年もやってきていると知らず知らずのうちに、何か少しは分かってくる感触もある。
馬の耳に念仏から、門前の小僧習わぬ御経を読むということらしい。

リサイクル品は身の回りの実用品であり、俺も使ってたりする物だから分かり易い。
骨董品やアンティークはそう簡単ではないし、相場を掴むまでが一仕事である。
相場観とセンスを磨くことは一生かかっても分からないかもしれない。