リサイクル親父の日記

第26話 わたし、実は余命半年なんです・・それで・・仙台市泉区から 

2010/07/15

とっても丁寧な話し方をしていたおじさん、歳の頃は60歳ちょっとくらいか?
「公衆電話」の表示が電話機に表れていたから、今時珍しいと感じたのだ。
丁寧という言い方は、何度も同じようなことを確認すると同時に、彼自身の思いを必ず付けくわえていた。

例えば、「・・お宅の店は仙台市太白区の中田町ですよね、そう電話帳にあるので・・・具体的にどのあたりですか?」と聞いてきた。
或は、「まぁ、自分で言うのも何ですが、つまり骨董のような物、掛軸とか、古い絵とか・・・色々ありまして、それを買ってもらえるかどうか知りたくて・・・」と長いのだ。
要するに、買取して欲しいということなのだが、話が本当に長いのだ。

その骨董的な物も扱っていますよ、と俺が答えると同時に、公衆電話はお金が無くて、ジーッと音がして切れてしまったのだ。
数時間後におじさんは店に来たのだが、普通のお客さんの様に店内を散策していた。
だから彼が電話の人だとは全く気付かなかった。

オドオドした感じでレジに近寄って、「朝電話した者です・・骨董品の買取で・・・」と小さな声で言った。
俺は電話を思い出したので、わざわざ来ていただいたことに礼を言った。
外に止められた彼の軽自動車の荷台、ガラス額が7~8点、他に紙袋に掛け軸数点などが覗けた。

俺が額を取り出そうと手をかけた時、彼は「大事な物なので丁寧に扱っていますから・・・」と俺を制した。
そして自ら新聞紙を敷いてある額をとても丁寧に取り出す、そして、俺に渡すのだ。
重なる額と額の間に何枚もの新聞紙が敷かれている、彼が大切にしていたのはよく分かったが・・・

額は民芸品の石で作った風景画や置物図、早書き商業画、刺繍画であった。
紙袋は店のか中で検品することにした、彼は大事に抱えて俺の後をついてきた。
しかし、似たり寄ったりで三文ん印刷物で汚れがあり破れもあるのだ。

俺が査定できずに結果をどの様に話そうかと春秋していた。
「わたしが買ったのは20年前頃でして、デパートで結構な値段でした。骨董は高いですからね、大切にしてたんですが・・・」。
そこで話が一時停止したから、俺は続きを促した。

「そんな大切な物をどうして売ろうとするんですか?」。
暫く考え込んでいるようだったが、意を決して言った。
「・わたし、実は余命半年なんです、それで身の回りの片付けをしてるんです・・・どれくらいなりますか?」。

うっ!?俺は答えようがなかった。
「20年前に大金を出したんでしょうから、売るなんて考えずにお持ちになってた方がイイと思います」。
現在の価値を知らせない方が、そして、本人が知らない方が、彼の余生はショックが無いと思えた。

どんな病気は知らないが、余命半年だからと大切にしてた物を換金処分するという考えだ。
車で1時間以上かかる仙台市泉区からわざわざ来てくれたのだが、物が物である。
何軒も持ち歩いていたらしいが、何処でも買取してもらえなかったことは想像できた。