リサイクル親父の日記

第41話 義父は古美術商でした・・仙台の隣町から・・

2010/07/29

仙台市の隣町の新興住宅地から買取の電話があった。
「xx町ですが買取に来てもらえるんでょうか?」と最初に聞く人も珍しい。
話し方も主観的であり、俺の問い対して曖昧に答える、でも、自分の事情は熱心に説明する。

「螺鈿のテーブルと椅子、父は何百万もしたって言ってましたけど・・・そんな物はどうですか?」独り事の様に呟く。
「それって使った物ですか?」と聞くと、「家でズーッと、今も使ってますが・・・いらないの・・」。
「他にも何かありますか?」、すると、「やっぱり螺鈿の衝立に大きな置き時計、2mくらいの高さの・・・」。

「そんな高額な物を手放すんですか?」と疑問を尋ねた。
「父が亡くなったので、主人の父ですが・・わたしたちは好きじゃないし・・・子供も嫌がるし・・」。
これはよくある話で、世代間ギャップであり、趣味嗜好が全く違うから、先代の大切にした物をアッサリ手放すのだ。

閑静な住宅街だが猛暑で外には人がいない、僅かに車が時たま行き来する程度。
居間にドーンと螺鈿細工の花梨伸縮楕円形テーブル、ソファーの後ろに同材料置時計、玄関に衝立、和室に桐ダンス、ウミガメ剥製など・・。
全てが中国製の品々で、これは普通の人が買い集めたようには思えない筋ものだ。

「夫の父が商売してたんですが、10日前に亡くなって・・、他の新品は問屋に戻したんですけど・・・・
えぇ、古美術商でした・・・あっちこっちに車に積んで売ってました・・・わたしたちや子供は品物を好きになれなくて・・」。
普通の人には悪趣味的だし、ゴテゴテし過ぎるし、俺の店でも大変売り難い商品であるが・・・

「相当昔は凄く儲かったって言ってましたけど、最近は全然売れてなかったみたいで・・・ガンになって・・・」。
確かに2~30年前からバブル時期にかけて売れまくった類いの商材ではある。
そんな内輪話は古い骨董屋さんが懐かしがって語っていたセリ場での会話を思い起こさせた。

「幾らで買ってももらえますか?」と聞かれるが、本当の現在の評価を言うのがいいか迷った。
「でも、今は価値ないわよね・・・誰も欲しがらないわよ・・・兄弟も親戚もみんないらないって・・・
だから、幾らでも良いんです・・・早く無くなればそれが一番です」と言ってくれた。

デパートやスーパーで時々各地の物産展が開催される。
物産展は時には豪華な家具調度品や絵画や掛け軸もあるが、最近は催事があっても非常に売上が低調なのだ。
俺の店にもそれ系の卸行商が来てたが、数年前にパンクしてしまった。

他にもチラホラと同業のパンクを聞いたことがある。
時代が変わり、或は、商品が行きわたり飽和してしまえば、売れなくなる。
生業も変えざるを得ないから、転業廃業が多くなっている古物商(?)でしょうか?