リサイクル親父の日記

第78話 1人でいるから、話し相手もいなくて

2010/09/06

仙台市若林区は古い街並みが多数残っている地区である。    
リサイクルショップの出張買取に出向くことが度々あるが、古い家でも新し家でも期待が持てる。
いつものように住宅地図を広げると、案の定道幅が狭いし、一通が多い。

道路が狭くて一軒家の敷地も狭いから、大邸宅以外に駐車スペースはない。
当然路駐するしかないが、狭くて道路をふさぐ場合もあり、買取交渉時間がいつも心配なのだ。
ブーッ、ブーとクラクションを鳴らさられることは頻繁だから、図太く構えるしかない。

今日はその一通から更に入り込んだ小路だから、乗用車だけでやっとだった。
急ぎ足で買取先に行って、交渉前に、車が心配ですと伝えた。
60代で痩せ形白髪の彼は、その区域だけで有効な駐車カードをワイパーに挟んでくれた。

どうやら駐車カードは住民同士の了解事項であるらしい。
カードには駐車許可という文字の他に、その家のナンバーと名字、電話番号が記入されていた。
「これで大丈夫です」と彼はそそくさと家に戻るので、俺も後を追う。

60~70年前の家は、門から玄関先までの通路を除いて雑草が鬱蒼と茂っている。
ランニングシャツの彼は、掃除機やヒーターを準備して待っていたようだ。
査定して交渉はまとまったので、「他にもあれば買取しますよ」と言ったが皆無。

両親が亡くなってからは1人暮らしで、兄弟は独立している。
仕事は臨時の警備会社勤めだが、最近はめっきり働ける日が減ってしまった。
「・・・だから、1人で何日も居るとね・・寂びしいもんですよ・・仕方ないけど・・」。

仙台でも1人暮らしの老人や中高年が相当いるように思える。
1人の理由は様々あるだろうが、独居者は気楽さもあろうが寂しさもあるかも知れない。
人間は、人と人の間にいるから、人に係わりながら生きるから人間って云うんだろ?

仕事を持っていれば、好き嫌いに係わらず人間として人と交わるけどね。
或は、家族と同居してても同じだけどね。
全く係わる必要が無く生きてた場合はどうなんだろう?