リサイクル親父の日記

第107話 金正恩という北朝鮮の後継者は・・・

2010/10/07

リサイクルショップという仕事なんて考えてもいなかった遠い昔だ。
陸の仕事ではなくて、海の仕事に着いていた俺が転職した。
知人がふね関係の会社ということで紹介してくれた。

もうオッたまげたとしか表現できなかった俺の感想。
何だ「正恩」という名前は、滅多矢鱈に目にしない字だからね。
実は30年前に同名の人がいる会社に再就職した。

その方は専務さんであり、俺は営業に属したから、直属の直属の上司という関係だ。
専務さんは東京の商社マンだったが、婿養子に入り、嫁さんの実父の会社の後継者となり、専務として入社してた。
高齢な社長は滅多に出社しないから、専務さんが全権を掌握していた。

商社マンとして実績もあったから、田舎の会社にきて、社員も下請けも見下したいた。
俺は船乗りからの転職だったが、専務さんは大変な権力者であり、営業の大先輩である。
営業マンとしての根回しや攻め方に相当長けてたから、新米の俺は営業を知る上で参考になったし尊敬してた。。

1~2年間は営業の仕事よりも運転手としての仕事が多くて、クライアントの仙台空港や仙台駅の送り迎えをよくやらされた。
車中で、専務さんがクライアントに歯の浮くお世辞を言うのを耳にした。
或は、役人の攻略として付け届けの使いっ走りもやらされた、などなど・・文面にできないことも含めて指示された。

俺は商船の船乗りだったので漁業については素人、だから、必死に漁業や漁法を勉強した。
時が過ぎて俺は漁業や漁船についての知識が豊富になっていた。
すると、ある時の車中の専務さんが、取り扱っている漁船の知識が非常に乏しいと気付いたのだ。

売っている商品が漁船なのに、造船も漁船も漁業も理解不足??だと気付いた俺は愕然とした。
分からないことは部下に任せて、自分は飲ませ食わせXかせの攻略に精を出していたらしい(?)
それでも絶対権力者として君臨して経営してたんだから、その後の会社は言わずと知れる。

EEZ200海里撤退からの漁業不況は漁船だけの会社には致命的であった、あっという間に業績悪化。
専務さんは老いた社長に見限られてクビ、東京に行ったが数年後離婚したらしい。
良くも悪くも専務さんからはたくさん学んだ。

権力を振りかざしてはいけない、現場を知らなければいけない、情けは持たないといけない、・・・
人を人として付き合う、心をこめて打ち込む、会社の実情を知る、経理も財務も熟知する、大きな流れを早くつかむ、・・・
そんなこんなで俺は会社に見切りを付けて、その会社の倒産する10年前に退社、独立した訳なんだ。

専務さんから得た教訓を忘れずにやってきたが、俺は創業時から10年間は実行することができなかった。
1人で操業して、その後3~4名で運営した会社。
仕事を見つけて収益確保するのに四苦八苦し続けていた。
 
そして今度は、俺が自分の会社の社員と経営方針の対立を経験した、遂に俺は自分の会社を出た。
俺は3度目の人生の転換でリサイクルショップに辿り着いた。
だから今回は、専務さんから学んだことをできるだけ実行しているつもりだ。

しかして、人を集めれば簡単にはいかないし、所所困難も味わっている。
反面教師だったかも知れない専務さん、「正恩」さんとの30年前の関係を、今俺は心の始末ができたようだ。