リサイクル親父の日記

第109話 「時代」って何だろうか?

2010/10/09

リサイクルショップとしては、物の状態がイイにこしたことはない。
だから買取の査定は新しさが重要であり、年数が経てば経つほど、査定がガク、ガクッと下がる。
出張買取に行く場合でも、年式だけは聞いておかないと大失敗することがある。

一口に仙台と言っても広いから、市の外れだと車で1時間半もかかったりする。
軽々しく請け負って手間がかかり過ぎてしまい無料サービスになったことが何度もある。
失敗の積み重ねは、反省することで次に繋がるけど・・・

骨董屋さんが口にする「時代」って何だろうと以前から気になっていた。
時代があるねぇ、時代が若い、そんな使い方をしている。
古いことを「時代」と表現するのだが、それでも良く分からなかった。

最近テレビで「時代」を解説してたのを見た。
時間、年月が経過することでしか表現できない表情らしいと、俺は理解した。
風雨、太陽、気温や湿度差などの環境変化を経ることで、新品に無かった味わいが表出する感じ。

盆栽鉢が風化する様であり、藍染が着こなすことで色褪せていく様子である。
木造家具など使いこまれて磨かれてきた様子なども類する。
単に古いのは朽ち果てる様子だが、「時代」は大切に大事に扱われてきた跡であろう。

使った人の思いや気持ちが物に乗り移るとは考えないけれど、慈しまれた様子が感じ取れる。
100年、200年前の物でも新品同様に見える場合もある。
裏返せば、それほど大切にされていた証拠であろう。

俺も最近古い物を手にして思わず呟いたりする。
「時代がありますね、ロマンですね、大事にしましょう」なんてね。
この「時代」を感じる力は、それぞれの人の感性でしかない。

生活に潤いが少ない現代では、癒しを求める人が多くなっているけど・・・
役に立たない古びた「時代」のある物は、手軽な癒しアイテムであろう。
感じる人だけにしか「時代」は分からない、そこがイイ。