2010/10/16
俺の店はリサイクルショップだが、骨董品もそれなりの扱っている。
リサイクルとしての出張買取先でも、古い物があって、それも商品にできるから一石二鳥的である。
年数を経る間に古い物、骨董品も分かってきたし品揃えも少し充実してきている。
多分、ご近所のお爺さんだと思える人が週に1度か2度の割合で通ってくれるようになった。
毎回徒歩だし、大きい物は買わない。
目当ては骨董品なのだ、掛軸に焼き物、漆器など時間をかけて探している。
黙々と独りで商品の検品をしているが、どうやら耳が相当遠くなっているのだ。
俺が言うことは聞こえないが、お爺さんが言うことは俺にはハッキリと聞き取れる。
骨董コーナーで時々大きな音がするが、それはお爺さん自身が出してるが、ご自分には聞こえない模様。
骨董品は毎日仕入れられないから、一旦陳列すると次回までの間が長いのが普通だ。
一度に出しきれない程に仕入れるなんて滅多にあることではない。
当然、陳列品は同じ物がいつも置いてある状態が続くのだ。
鮮度がある物の場合、お爺さんは目を皿のようにして品々を手にとって見極めている。
そして大変慈しみつつ1~2点を買ったりするが、逡巡をして諦める場合もある。
だから俺は期待を裏切らないように、できるだけ鮮度のある骨董品(?)を揃えたいと思っている。
空振りの後に再度来た場合にも、鮮度のない物を前回同様に何度も検品したりもする。
それが1~2回だったり4~5回だったりする。
今日は、もう5~6回も手にして検品してた九谷焼き茶器セットをレジに持って来た。
俺は新聞紙で包んでいた。
するとお爺さんが机上の湯呑に手を伸ばしたのだ。
「それ、売り物じゃないんですが!」と俺は大きな声を発した。
悠然とお爺さんの手は伸びて、遂に、湯呑に達して、手で掴まれた湯呑が空中に浮いた。
傾いた下口からショー、ジョーっと茶色い液体が垂れた。
それを見たお爺さんは慌てて机上に戻した。
マイカップでコーヒーを飲んでた俺の残滓。
お爺さんは耳が遠かったからしょうがない。
その湯呑は伊達藩末期に勃興した幻の切り込め焼きを40年前に再興した陶工の作品。
素朴で質素、灰色に焦げ茶でまだら模様が見える。
俺の気に入ってる一品である。
30年前に同僚のおばちゃんからプレゼントしてもらった。
骨董品と呼ぶには若いが、骨董品に見えなくもない作家物である。