2011/03/30
俺の仙台の店は被害が少ないから再開はし易い。
しかし石巻の店は、トラック冠水、商品の殆どが倒壊と濡損のため甚大な被害である。
従業員も家に戻れず、再開の目途はたて難い。
震災後にも安否確認が最重要であって、一週間後に皆の安全が確認できて安堵した。
次に各店の被害状況がつかめずに焦燥が募っていた。
数日後に水が引き、店に行けた時、建物が傷みはあるけれど使えそうだと思えて安心した。
震災後にサッシ戸を破られて泥棒が入ったし、プロパンボンベが盗まれもした。
家具は倒壊、ショーケースも倒れてガラスが散乱、商品も濡れまくっていた。
茫然自失と無常感に奪われて虚しさだけが湧いてきた。
知合いにはもっと悲惨な人々がいる、亡くなった方、家も仕事も失くした方・・・
言葉の掛けようも無く、慰めも辛すぎて・・・
哀悼と黙とうを捧げる・・・
石巻の日赤病院が比較的近いこともあり、連日連夜緊急搬送が行われていた。
自衛隊車両が走る、県外ナンバーの電力の車、ガス会社の車が何度も数多く走る。
汚泥が乾いて宙に舞う中で俺は歩道から支援車両に手を振って頭を下げて謝意を表していた。
胸がジーンとなる、目には熱いものがこみ上げてくる。
悲惨で辛い現実であるが、俺には店を再建していく明日がある。
被害の見積をするが、甚大さから逃れることはできない。
片付けだけでも1ヶ月以上2ヶ月くらいを要するようだし、ゴミ処分費にトラック調達、その間の経費、更に、商品と什器の調達。
溜息ばかり出るけれど、向かわないとならない、金の調達に全力を尽くさないとならない。
前期の決算書を取り出して、再建費用を算出して、再建見通しを考えて、・・・・
店の復元だけでも半年はかかるし、その上に新規借り入れ分の支払いはきつ過ぎるのだ。
しかし、でも、やらなきゃ、その葛藤が続く、再建できなければ潰れるしかないのだ。
銀行に連絡して、やっと担当者に繋がるが、銀行もその支店は被災してて別の支店の一室で話ができた。
再建事業計画を説明して、融資をお願いした。
結果が先だが、でも、やるっきゃないんだ。