リサイクル親父の日記

第240話 地震後は背の低い家具が売れ易いんだ

2011/04/20

大震災の記憶は被災した人々から消えることは無い。
家具が倒壊した人には特に忘れ難いということだ。
以前から感じていた現象があるし、今日もそれを強く感じた。

数年前に家具を買ってくれた中年女性が娘さんと二人できた。
店の近くのアパート2階に住んでいるが、稀にしか顔を合わせない俺は直ぐに思い出せない。
「いつも買ってるでしょ、この間はソファー、その前は洗濯機、アラ、忘れたの?」

顔には見覚えがあるけれど、彼女が何を買ったかとかは憶えてないのが普通であろう。
しかし、お客さんの彼女には自分が常連だという思い込みがある。
そんな思いのお客さんは世間にはとっても多いと俺は感じている。

「あっ、そうだったよね」とおぼろげな記憶を辿りつつ、だんだんと思いだす。
「ブルーのアパートね、川沿いの」と思い出したことを口にする。
「配達料って、幾らだっけ?背の低いサイドボードは倒れないよね?あれ、もらうわ」

「だってさ、高いのは倒れるし、低ければ大丈夫だよね」念押しする。
そして、トラックに積み込むと、今度は娘さんが言うのだった。
「わたし、あの色は嫌、暗い感じでしょ!別な明るい色の方が良いわ」

「そう?じゃ、替えてもらいましょう」と彼女はいとも簡単に言うのだった。
俺は唖然としながら聞いていたが、やっぱりお客さんは神様なんだ、やれやれって思った。
数日前にもローボードや低いサイドボードが売れたのを思い出した。

地震対策に天井までの突っ張り棒を張るとか、ビス止めするとか、防振マットを敷くとか、色々手立てはある筈だ。
恐怖心は人々の心に住み付いてしまっているようだ。
何故なら、花瓶や壺の倒れやすい物は、みんながみんな買うのを躊躇している。

余震が続いていて、更に、もっと大きな余震も予想されている。
用心して注意するのにも疲れてきているが、油断はできないという思いは強いようだ。
「アラッ、この店はちゃんとしてるじゃない、地震大丈夫だったの?」

大丈夫な訳は無い、再開するには大変な片付けをして、それなりにするのが当たり前なのに。
それなりに陳列して販売するのも当たり前であり、寝かせて並べて売るなんてあり得ない。
1回の地震でどれだけの損失が出るか、声を大にして言いたいと思うこともある。
みんながそれぞれに大変な苦労をして再開をしているのは簡単に想像できることだろうに。