リサイクル親父の日記

第250話 そういえば、そうだったのか

2011/04/30

スーちゃんが先日亡くなってしまった。
俺らのアイドルであり、あの可愛らしさに随分癒された。
スーちゃんの夫が、今度初めて知ったんですが、あの夏目雅子のお兄さんだったって。

スーちゃんと夏目雅子が親友、その縁で結婚したそうだ。
ご家族で病気で亡くなった人がいて、薄幸なスーちゃんと書いた週刊誌もあった。
まあそれはそれとして、夏目雅子の夫は伊集院静だったと思い出した。

ラジオを聞いていたら「仙台在住の伊集院静の・・・・」、彼は仙台に住んでたの?
え、どうしてだろ?それで気付いた。
彼が再婚した相手は仙台出身の女優・篠ひろ子、そっか、そうゆう訳かと独りで納得した次第。

ラジオが続く「新刊本のタイトル・いねむり先生って・・・」、変わったタイトルだなって感じる。
「・・実際の話と創作が混じってますよ・・・イロカワ・・アサダ・・・・」とインタビューに答えていた。
彼は色川武大こと阿佐田哲也に若い時分に薫陶を受けていたのだ。 

妻の夏目雅子を亡くした失意の彼にいねむり先生が親身になって人生を教えたようだ。
その虚実を新刊本としてまとめのだ。
井上陽水のインタビューを観た時も驚いた。

彼もまた、若かりし頃に色川武大の影響を凄く受けていたと知った。
実は俺も学生時代に色川というより阿佐田哲也に熱中したことがあった。
何とも掴みどころのない感じがして、それでもほんのりとして、斜に構えたようでアウトロー的であった。

底の底に漂うような人間に対する愛情があったようでもあり、憂いも潜んでいた。
陽水も伊集院静も、そういえばノンフィクション作家の沢木耕太郎も色川の影響を受けていたんだな。
俺だけじゃないのは分かっているが、どうしてか同じ匂いの様な物を感じていたんだ。

それは色川の匂い、考え方、思考、捉え方、不器用な処世術なのだろうか?
何ものにも流されず、染まらずに、独立独歩でオリジナリティーに溢れている。
スーちゃんが思い出させてくれた俺の青春の1ページだった。