リサイクル親父の日記

第255話 鎮魂は俺自身のためにも必要です

2011/05/05

この連休に娘が東京から帰って来た。
被災地の俺ら家族と現場の把握など、故郷の変わり果てた姿を共有するためでもあった。
家族と一緒に数時間かけて石巻と女川を見て回ったが・・・

3.11から何度も石巻や東松島を見ていたから、今回は行って無かった場所の確認をした。
地区によって瓦礫の片付けが進捗してる所もあるが、未だ手付かずの所も多くあり、まだら的だ。
しかし被災が少ない所がそんな感じであり、甚大な所はうず高く瓦礫が積み上げられている。

リサイクルショップをやる前は、造船所に勤めていたし、その後も漁船と輸入魚の取扱もやっていたので、どうしても漁港関係が気になっていた。
女川も石巻漁港も漁船や魚の仕事で数知れない程に行っていた。
その場に立つと、昔の経験が走馬灯のように駆け巡ってしまうし、知った水産会社や関係者やらを思い出した。

全容を見るべく石巻の日和山に登ると、この時期は桜が終わりつつじが花咲くころで賑わうのだが・・・
例年以上に車と人が多いのだ。
路駐が物凄くて渋滞も甚だしい、それに他県ナンバーが相当多い、外人も多いし、他県の言葉もたくさん耳にした。

二、三人や数人のグループが佇んで眼下を指さして、それぞれの思いを紡いでいる感じを受けた。
俺らも同様に個々の思いを口にせずにはいられない。
最後にはどうしても溜息が出てしまう。

高台の女川病院、病院の駐車場にも流された車が止まっている。
こんな高台にもと驚きは隠せず、当然破壊された街は全く面影のかけらも無い。
女川と石巻の中間部、万石浦や渡波地域はヒタヒタと潮が上がって来ている。

石巻漁港は満潮も近付き海水があちこちで奪っていたし、道路などの陥没も見られる。
水産加工場や漁業会社、冷蔵庫の破壊された姿に、解けて腐りだしている魚と冷凍機のアンモニアの異臭が俺に迫る。
昔20年間くらい仕事で取り組んだ場所であり、思い出せない程の思い出のあった場所なのだ。