リサイクル親父の日記

第257話 宮城県南部も・・・ですよ、やっぱり

2011/05/07

先日、若夫婦が冷蔵庫と洗濯機を買ってので配達に行った。
柴田町船岡という所は俺の店から南方で約30分かかる。
真新しいアパートは地図には載って無くて探せずに、遂にケータイで呼び出してしまった。

後にその若い旦那がお母さんを連れたやって来て、冷蔵庫を注文した。
翌日にお母さんはお父さんを連れて、今度は食器棚を追加で注文した。
そして、今朝配達に行ったのがご両親の家、県南のJR山元町の駅近くである。

国道6号線から海岸方向に折れて田んぼ道を進む。
田んぼにポツポツとゴミが、ある一線を境に現れてきて、それが進行するに従い増えてくる。
農道の十字路に消防団員数名が立っていて、通行車の誘導をしている。

俺は直進するので、フロントガラス越しに手で進行方向を指して消防団員の脇をすり抜ける。
やがて家並が近づき、遠目には何事も無かった家々が、実はみな津波で被害が甚大だと分かる。
配達先に向かうので細道を右折する。

両側の垣根は所々がなぎ倒されていて、防風ができそうにないほどに間隙が大きい。
どの家も敷地が広いために奥まっているが、家々の人々がグターッとして緩慢な動きであり、片付けに疲労困憊状態に見える。
ソロソロといた徐行運転だったので、店で会ったお母さんが手を振って合図してくる。

車を降りて挨拶をする。
お父さんはサッシ戸の上段部分を指して言う、「ここまで津波が上がったんだよ」
地面からは俺の身長を超えていて、2mくらいの所に水の汚れ跡が水平に伸びている。

仙台新港から仙台空港、そして亘理、山元、福島新地などは、真っ平らである。
大津波は遮蔽されずに陸地の奥深くまで海水を運んできたのだ。
テレビでは見ていたが、現場を前にすると言葉を失う。

食器棚を台所に運ぼうとするが、廊下の角と角が塞ぐ。
和室を通るのがイイのだが、濡れた畳を取り出してしまい、それに床板を敷いていない。
十分乾燥させた後でないと畳は復旧できないので、居間に仮置きせざるを得ない。

「・・う~ん、これから又、一からやり直しだよ・・・でも、歳だしなぁ~~」
お父さんは呟いていた、お母さんは黙して首を上下させている。
「又、店に来てください」と俺はトラックに乗る。