リサイクル親父の日記

第260話 ミッションかな?この仕事の有意義さを実感できて・・

2011/05/10

俺がリサイクルショップを開業した時には、生活のため、生きるために金儲けとして取り組んだ。
20代から30代、40代初め頃までは生きるための金儲けに罪悪感も覚えなかった。
何をしてもイイとか、グレーでもイイとかは考えなかったけれど、儲けることに正義はあった。

それまでの仕事では不特定多数の人々を相手にしていない。
業界関係者たちとの商取引が全てであり、それ以外の人々との関係は無いから気にも留めていない。
しかしリサイクルショップは小売であり、様々な人々がお客さんであり、たくさんの人々と接するのだ。

この仕事で一番驚いたのは、世間には本当に色々な考え方と生活をしている人々が大勢いることが認識できたことだ。
テレビや新聞の報道で知っていたつもりだが、俺自身が直に接するという体験は、事実は小説よりも奇なりそのものだった。
悲喜交々バラエティーに富んだ出来事を体験してるが、昨日はとっても嬉しいことがあった。

3月初めの大震災前に家電や家具をまとめ買いした若い女性がいた。
仙台で就職が決まり、神奈川県からの引越しは3月末で、その時に配達する予定だった。
大震災後通信が復旧して彼女と連絡が付いて、少し延びたが配達することができた。
 
俺は買取予定はどうする事も出来ずに自動的キャンセルになってしまったが、配達は絶対やると決めていた。
だからトラックの燃料の残量を確認して、必要最小限しかエンジンをかけない。
震災情報をカーナビのワンセグでテレビを見るだけ、朝と夕の2回の僅かな時間だけしかエンジンをかけなかったのだ。

その彼女が昨日来てくれて、実家にあった品々を店に無償提供してくれたのだ。
同時に、心のこもったハガキもいただいた。
あの時の店の対応への感謝の気持ちが綴られているし、仙台暮らしにも慣れた様子、今後の思いなどが・・・

それは♪~それは♪~可愛らしいほど小さな文字で彼女自身が目に浮かぶ、しかし、俺には老眼鏡が必要でして・・・
今思い出したけど、配達日にお礼にチョコレートをいただいたっけ、都会の味の、俺には新鮮でとっても美味かった。
優しい心遣いと親切で思いやりを持った彼女が、仙台でハッピィーな生活をおくれるようにと願わずにはいられない。

創業時に、1個50円の茶碗や皿を数組買うのに半日かけて選んでた無口なおばさんがいた。
品々をとっても丁寧に新聞紙に包み、大切に抱えて帰って行ったが、あの時にも俺は同じ気持ちが湧いた。
リサイクルショップをやって本当に良かった。

誰かのために役に立つという実感を味わえる。
本心から喜んでもらえているという感覚を知ることができる。
俺の使命って言うのは大袈裟だろうが、でも、やっぱりミッションって感じはするんだ。

以前の仕事は損得勘定が先にあって、イイ商談でも、それは俺にとってのイイ商売だったという一方通行。
リサイクルショップでのイイ商売は、物を売る人も、買い取って販売する店も、買ったお客さんも皆が得をすることができる。
俺の造語かも知れないが「三位三得」、他の商売では経験できないかも?