2011/05/17
仙台で開業した頃からのお客さん、俺も歳とったけど彼女も同様かな。
レトロな物が好きで時々友達と連れ立って来る。
多い時は週に2~3回来るが、空くと数カ月も顔を出さない。
彼女は仕事も数回変わったけど、5~6年前に仙台空港近くに新築してた。
今度の大震災では彼女も気になっていた1人であり、時々安否を心配していた。
今日ひょっこりと元気に現れたので、俺も一安心できたし、俺のことも心配してくれていた。
数年前からヘルパーとして介護の仕事をしてたが、今回は避難所に行って介護のお客さんの世話をしていたそうだ。
彼女の家は床上浸水したので親戚の家に避難した。
家の前方に建ち並んでいる工場群で津波の直撃を逸れたので、被害が最小限で済んだ。
息子夫婦と幼い孫が近くに住んでいるのだが、その場所には遮る建物が無くて、無残に倒壊してしまう。
彼女は我が身も大変だったが、家に居るであろう嫁と孫が心配で心配で耐えられなかった。
平坦な地域でもあり、彼女自身が逃げる方向をチョッと間違えば命を落とす危機だったから、現実として隣近所の方が亡くなってもいた。
後日、息子家族の無事を確認できた時の喜びは言葉では言い表せない。
この気持ちは俺も非常に良く分かるし、同じ思いを大勢の人がされたとも思う。
それに甚大被災地に立った時の思い、何一つ言葉が出なくなる、ただ呆然とする心境も同様だろう。
「ほら、見てよ、こんなに壊れちゃってさ・・・住めないわよ・・・」
彼女はケータイの画面を俺に見せてくる、グッチャグッチャに家中が破損していた。
「・・んでさ、でもね、嫁と孫が1週間前から実家に帰ってて、それで助かったのよ」
「どうしてそんなに実家に行ってたの?」と何気なく聞いた。
「それがね、夫婦喧嘩して、嫁さんが出て行っちゃってたんだって」
「災い転じて福となすって、でも、助かって良かったね」俺は心からそう思えた。
津波は想定外なんて言えない程、想像を絶する規模である。
ほんのちょっとしたこと、右か左か、2階か3階かどこまで登ったか、高速道路の海側か陸側か、直進か曲がったか、それが命を分けてしまった。