リサイクル親父の日記

第275話 随分と片付いてきてるが、まだまだかも・・・

2011/05/26

俺の店は仙台市太白区東中田という場所にある。
宮城県を南北に見ると、東側に海岸線が走っている、その海岸沿いに仙台空港と仙台新港を結ぶ道路がある。
その内陸に三陸自動車道が通っていて、更に内陸部に国道4号バイパス、俺の店があるという具合。

俺がいつも利用する三陸道インターチェンジが名取であり、津波はここを超えて内陸部に達していた。
三陸道の海側と内陸側では景色が激変する、三陸道堤防が防波堤の役目を果たしたのが歴然とする。
昨日の午後に友達と海沿いの道路を走った。

名取大橋が2日前に通れるようになっていたし、仙台空港の地下道も再開通したばかりだ。
若林区の荒浜付近から阿武隈川を越えて亘理町まで、俗に言う「浜通り」を走った。
この浜通りは更に南下していて亘理から山元町を経て相馬港まで貫いている。

この場所をこれだけ長い距離を走るのは6ヵ月以上も前だと記憶している。
津波の強弱は防風林や建物の位置関係によって複雑化してたようで、至近距離でも破壊度合いが千差万別でもある。
グニャッと折れて湾曲したビニールハウス、コンクリート基礎しかない家の跡、壁が破壊された家々、根っこから抜けた松の木、傷んだ車など・・・

新しくて立派な家は建て物は残っていて、荒れ野原に忽然とした姿が一層の哀れさを感じさせる。
被災地に行って気付くのだが、こんなに狭い区域だったのかと驚くのだ。
家が立ち並んでいた時とは全く違ってしまい、何も無いから広さは狭さだけを強調するのかも知れない。

震災直後から20回以上も名取インターチェンジを利用している。
毎回感ずるが、少しずつガレキが片付いたり道路が綺麗になっていると思う。
1日、2日では分からないが、1週間、1ヵ月単位で見ればガレキ撤去の進捗を感じる。

自衛隊も米軍もボランティアも皆が協力してくれるお陰だと感謝の念が湧く。
正直な思いとしては、随分と片付いていた。
でも、まだまだ家屋毎に観察すれば、手の付いていない家も場所も相当見かける。

ガレキ集積地には大きな山となって積まれていて、運搬車が列をなす様に持ち込んでいる。
それらを鉄類、木類など数種類に分別している。
バックホ―やダンプなど重機がこれほど頼もしいと思えるのも不思議だ。