リサイクル親父の日記

第306話 せっかくこれから・・帰りたくなくて・・

2011/06/28

買取依頼は中年男性の電話だったのだが、当日は奥さんが独りで対応してくれた。
数年前の冷蔵庫や洗濯機だから買取には問題は無い。
「単身赴任だったんで・・ではよろしく頼みます」と彼は落ち着いた言い方だった。

その仙台市中心部の賃貸マンションは、全周に工事用幕で垂れ下がっている。
床は養生ベニヤは敷いてあり、壁には薄いビニールシートが掛けられている。
震災の被害が大きくて、現在補修工事の真っ最中なのだ。

小柄な中年の奥さんはニコヤカに迎えてくれる。
「え~と冷蔵庫、洗濯機、それにこっちもですわ」とジャー、レンジ、ジューサーを示す。
見た目で分かるが年のために俺は検品する。

「もう一年は居る筈だったのに・・残念なの、帰るのが・・」と俺には理解できないことを言う。
「でも、震災の影響がまだまだあって、仙台も生活するのに酷いですよ」
俺の反論は気にせずに続く。

「わたしも・・やっと時間がとれるようになって・・ここで二人で暮らせると思ってたの、残念だわ」
「家はどちらですか? 家の方が良いでしょう?」
「東京なの、ここがイイわ、仙台は暮らし易いし、2~3回しか来れなかったの、でも好きな街よ」

何人もの単身赴任者の買取をこなしてきた。
全員が全員、家に戻れるという嬉しさと喜びに満ち溢れているのが実態だ。
しかし、これほどに仙台にもっと居たいという声、それも奥さんが言うのは驚くばかり。

「だってね、子供たちも手がかからなくなったし・・わたし、いろいろ生きたい所もあったし、本当に残念」
話の中で何度も「残念」という言葉が出てくる。
俺はそれを聞いていて、そんなに惜しんでくれる人がいるという事実に誇りを感じる。

仙台、いや、宮城県人としての誇りのようなものだろうか。
地方ではあるが、人間関係の思いやりも濃密さもあるし、仙台は都会的な要素も兼ね備えている。
車でチョッと走るだけで自然もあるし風光明美な所もたくさんある。

奥さんの「残念」という言葉の裏側に潜む、仙台や宮城県の良さが俺にはよく分かる気がする。
これから俺も宮城県再発見探訪でもしようかな?
安い、近い、短い・・安近短・・アン・キン・タンも悪くない。