リサイクル親父の日記

第318話 あぁ~あっと、スッキリしたよ~

2011/07/11

大震災では当然なのだが商品が破損しまくった。
仙台の店は運よく津波は来なくて、破損被害だけで済んだ。
大型家具は倒れて2時破損を誘発してる。

スチール製商品棚は長さ2m高さ2m幅5~60cm棚4~5段として6~70台。
ガラスショーケースが20台、他に木製棚が20台くらい什器を揃えている。
地震直後の店内は足の踏み場もない、そして通路という通路の床面には破損品が埋れていた。

今もハッキリ憶えているのは、被害が大き過ぎて気が抜けてしまい、片付ける気力が失せていたことだ。
その後は1週間ほど「生きること」だけに精力を使わざるを得なかった。
後ろ向きのことは消極的なるが、それでも世間の回復状況を勘案しつつ片付けを始めた。

破損品はゴミと化しているから、出るわ、出るわ、物凄い量だ。
店の前に兎に角出して、積み上げていくしかない。
いつしかゴミの山は約10mかける5mの広さでこんもり盛りあがってしまった。

大きなブルーシートで覆い、お客さんの目には目立たないようにして保管する。
5月になっていつも頼んでいる産廃業者に連絡する。
しかし、手が回らないからとアッサリ断られる。

6月になって再度電話しても、もう少し待ってくれてと断られる。
7月に電話すると、初めは渋ってしたというか、優柔不断的な受け答えをする。
俺もプッツンしてしまい、この3ヶ月間の事情を説明して強力にプッシュした。

産廃業者は半官半民の感じで公社という色合いが強い。
事務所に居る人たちも上から目線的であり、悪しき公務員体質だ。
「どうしてですか! もう3ヶ月以上も前からお願いしてるんですよ! いい加減にしてくださいよ!」

すると態度が変わるから始末が悪いというか、いや、やり易いのだ。
責任を追及されるのが怖いから、強く出ると簡単に引くのだ。
「・・えぇ・・何とかしますので・・来、来週には必ず・・・」

しかし実際に働いている現場のおっちゃん達はイイ人が多い。
「暫くだな、随分溜めてなあ~何でもっと早く呼ばないの」と顔見知りのおっちゃんは気さくに言った。 
「おたくの会社がサッパリ受け付けてくれなかったのさ」

「うん、まあ、すごく忙しからな」
その結果、青いゴミの山は一時で消え去った。
こんなにスッキリしたのは久しぶりでした。