リサイクル親父の日記

第344話 続・骨董のセリに売りに行きましたよ

2011/08/06

昨日の続きですが、今日はセリ場の風景を書きます。
俺はセリに参加するのも仕事だと思っているので、費用対効果を念頭に置いてます。
経済活動であり儲けになるように思いつつ参加を判断してます。

例えば、何故参加するのかを考えてしまいます。
骨董品の在庫が少なくなったからとか、お客さんの頼まれ物を探すためとか・・・
昨日のように不良在庫品をさばきに行くとか、それらは複合的に組み合っています。

ある時は一般家庭から大量仕入れがあって、店での販売を持て余す。
でも、いつも売って何ぼ、買って何ぼを考えて判断するのが普通でしょうね。
セリ参加者の中には、買いも売りもしない人がいるんです。

一日を潰すんですよ、早朝に家を出て夕方から夜にしか戻れないんですよ。
貴重な一日ですよね、それなのに何もアクションしてないんです。
顔見知りと会うために、品々を観賞するために、暇つぶしに・・・

参加費を支払い、弁当を食べて、そして和気藹藹に時を過ごす。
セリ場をピクニック代わりに思っているようにも見えます。
例えば、1点1千円で安く買ったとしても、参加費と時間を計算すれば物凄く高価なものになる。

高々10数人の参加者の小さな骨董のセリであるが、三分の一がそんな人である。
これは骨董のセリに参加した当初だから10年以上も前から感じていることである。
確かに俺のように生活を賭けた人だけの会ではないのは分かる。

仕事は他にあって趣味で骨董をやっている人もいる。
好きが高じて骨董屋の看板を上げていたり、サイドビジネスとしてやっている人もいる。
しかし買ったり売ったりするのが普通であり、要するにセリは参加するのもなのだ。

仕事としてしか考えない俺が不純で、かれらの方が純粋に骨董を愛せるのかもしれないとは思う。
骨董品の知識だけを求めに純粋に来てるのかなぁ、やはり俺には理解できない。
暇と金があったら、俺はもっと別な過ごし方をするだろう。

衛生状態が決して良くないセリ場ですよ。
できれば居たくないし、どこか衛生的な場所で、美術館や博物館で過ごしたいんだがなぁ~~
俺の狭小な考え方かしら?