リサイクル親父の日記

第351話 国分町も前に戻って、暇らしい

2011/08/13

震災後は何処も彼処も水も電気もガスも止まってて、生活するのが大変だった。
生きるための水と食料確保が困難を極めていたのだ。
一日、二日、1週間と過ぎて、更に数週間、1月経ってようやく日常らしき姿になっていった。

仙台市の繁華街近くに単身赴任している彼は、赴任した3年前からの常連客である。
冷蔵庫に洗濯機、家具類を最初にまとめ買いした。
以来、時々来ていて、雑貨とかを買っている。

俺が面白いと感じたのは、キャバクラに頻繁に通っているが、外人の子たちを娘のように可愛がっているのだ。
俺の店にも述べ20人以上も連れて来ているし、その子たちへの面倒見が非常にイイのだ。
キャバクラが暇な時はしょっちゅう電話で呼ばれてて、且つ可能な限り誘いを受けているのだ。

もう遠い昔にキャバクラ的な飲み屋を卒業した俺は、彼の話で国分町の今を知る。
もっぱら国分町では、廃業する店の裏側をリサイクルショップとしては良く知るようにはなった。
そんな裏事情はあんまり書けないしね。

震災直後は国分町もさっぱりだったし、彼の知り合いの子たちも相当数日本を離れた。
少し落ち着いた頃、若い男たちが連日の飲みに来てた、それがどうやら震災泥棒たちだったらしい。
満席で入れない日もあったと言っている。

その後は、震災後の各調査員や復旧工事臨時出張者が店を占領したそうだ。
特に週末はかれらで相当の店が繁盛してた。
世情はキャバクラにも反映するし、俺の想像を遥かに超えるものがある。

先日、石巻に駐在してた自衛隊が撤退したニュースを見た。
長淵剛が自衛隊を諮問したこともあった。
あらゆる援助隊が急に居なくなってきている。

そして、それは国分町のキャバクラにも現れた現象だ。
帰国した子たちも戻って来て、以前の店に戻ったけれど・・・
不景気の日本、仙台を象徴するは簡単だった。

「毎日さ、電話来るんだよ、だから毎回断れないし・・二晩続けて行ってたけど・・」
そうして彼は今もキャバクラ通いを続けて、余暇を楽しんで活力に変えている。