リサイクル親父の日記

第355話 小さな被災地へのドライブで感じたこと

2011/08/19

お盆休み中に用事があって岩手県に行った。
東北自動車道を使えば簡単なのだが、時間の余裕もあったし、帰りは気仙沼に出て国道45号線を南下した。
大船渡は震災後に叔父を見舞いに一度行っていたが、高田市以南は行ってなかった。

気仙沼は20年以上前には、漁船の営業の仕事でしばしば通っていた馴染みの深い街だ。
石巻から気仙沼までは当時車で2時間かかったから、一日仕事って感じで行ってた。
それに知人も数人居たから、時々は宿泊して一杯飲んだこともある。

一関から北上山脈を越えて気仙沼の北側にアプローチした。
気仙沼駅を過ぎて観光桟橋側に出た途端に風景が一変する。
津波の傷跡が生々しく壊れた家家に瓦礫の小山が何処までも続くのだ。

魚市場付近は解体もままならず壊れたままの建物が辺り一面に広がっている。
地盤沈下もあり、そこら中が水浸し、僅かに新たに土盛りされた砂利道が虚しく続いてた。
ここも石巻同様に街が比較的大きいので、被災地域も広いから衝撃も大きいのだが。

それから南下して南三陸町まで出た。
道路はアップダウンしては次の集落、次の集落と続いている。
ダウンしている集落には必ず小さな漁港があるが、そこは建物が全て流出してしまっている。

途中の国道沿いには津波想定高さという標識があるが、それはとっても虚しく思える。
今までに数え切れないほど通った道なのに、何処の風景も初めて見る異様な感じだ。
改めて思ったが、虚しさと悲しさとやるせなさが胸に迫ってくる。

ここに居た人たちが、亡くなったり、避難所に居たり、仮設住宅に移ったり、転居したりしている現実がある。
前日の朝は2時間かけて石巻の被災地を隅々まで探索した。
思い出のいっぱい詰まった地域はやはり面影が全く無くなった感がした。

漁船とか魚関係の仕事をしてた15年間は、漁港も水産加工場地域も工業港地域も庭の様に思っていた。
鎮魂のため、そして記憶に残すために歩き回っていた。
その時も感じたが、復興の道筋が全く見えないし、ほんの少しだけの仮工事が施されている程度だろうか。

気が遠くなるほどの復興の道なのだろうが、1人でも復活して欲しい。
被災地が簡単に復興する筈はないが、少しでも一歩でも進んで欲しい。
万感胸に迫る思いを忘れないために、時々は被災地に行くことにしよう。