リサイクル親父の日記

第378話 この地区は年寄りしかいないのよ

2011/09/12

仙台市泉区と富谷町の境にある新興住宅地、でもかれこれ40年くらい経っているだろう。
泉区の住宅地と富谷町の住宅街が一帯をなしている。
そこからの買取依頼で出向いた。

「泉の方だけど出張してくるかしら?」ツンと澄ました言い方に俺はクスッと笑った。
「出張は構いませんが、買取品次第です、どんな物がありますか?」常套句で聞く。
「XXXXXXXXXXXX]と彼女はたくさん説明したが、要領を得ない。

それでも点数はあるようで少しは興味が湧いたから「住所を教えてください」と促す。
「・・富谷町なの、泉の直ぐ隣ね、泉みたいなものよ・・・」と富谷町に劣等感を持っていて、泉に憧れている説明の仕方だ。何事にもこんな説明の仕方をする人がいるが、大抵は気取り屋さんとかお高く止まっている人種だ。

全然使っていなかった20年以上前の白木本棚、要するにどれもが20年ほどの品々なのだ。
引き出物も箱が黄色く変色してるし、スプーンももやっ気が出ている。
それでも彼女は必死に「新品でしょ? イイ物よね、高く買ってよ」としつこいのだ。

70代の彼女は家の様子から察すると1人暮らしに思える。
「地震でね壁にヒビがたくさん入ったの、だから壁紙だけは新しくしたばかり・・」
なるほどクロスは純白に輝いていて新鮮さを感じさせた。

買取が成立して品々を門扉近くに運んで仮置きした。
トラックを移動して門扉に近付けた。
彼女は俺の傍らで積み込み作業を見守っている。

昼下がりの住宅街とはいえ誰も往来に見えないのだ。
「静かな所ですね」と俺は言う。
彼女は「この地区はね、年寄りしかいないのよ、子供なんていないわ」

新興住宅地も初めは若夫婦が主体だったが、それぞれに子育てが終わる。
子供たちも独立して家を出ると、そこには年寄りだけが残って生活するようだ。
過老化現象、或は、過老症候群とでも表現しようか。

過疎化による老人化傾向は田舎だけの現象でもないようだ。
核家族化、個人主義化などにより孤独化傾向は強まるばかりだ。
自分というものをしかっりと持ってないと淋しさにも耐えきりなくなるかも知れない。