リサイクル親父の日記

第379話 被災地の子共の工作用に使うから・・・

2011/09/13

大量にある物の処分方法は様々あるが、どれが正解かは難しい。
1年前、廃業した釣具屋さんから在庫品を買取した。
釣り具、釣り針や浮き、釣り竿や重りなどを大量に買取した。

しかし、ほとんどが経年劣化が激しくて激安でもなかなか売れ難い状況だ。
その中にガラス玉、直径5~6cmで深緑色でラムネの瓶と同種同色の浮きに使った物があった。
直径2~30cmの大きさだと、それに網をかけてディスプレイとして利用されたりする。

大きめのネットに500個も入っているのだろうか、それが10個以上もあったのだ。
汚れていたから水洗いしてピカピカにた。
そして1個売りをしてたが、偶には1個、2個売れるが少量しか捌けない。

実用品でもなく、骨董好きのおばさんたちがちょっとしたアクセントに使う程度。
1月で10個では果てしない年月を要してしまい、俺の寿命が持たない。
以来、骨董のセリに持参して100個単位でボチボチと捌いている。

セリでは例えば1000個出品したとしても、それは墓穴を掘ることになる。
だから最大最小単位、ある程度の単価で売れる個数、それをセリにボチボチ出すという考えだ。
物には限度があるのだ、10個なら買ってもイイが、100個だと敬遠するとか。

だから店での販売とセリの両面作戦。
ある日、年配のデニムシャツのおばさんが興味を持つ。
「これは何? 何に使うの?」キツイ質問をしてきた。

ひと通り説明すると、「ふ~ん、面白そう」と一言残して帰った。
翌日今度は男性を伴って現れた。
彼も「これはイイね、使えるよ、ところで全部で幾つあるんだ?」

彼女が「まとめてたくさん買えば安くしてくれるの?」と追撃してきた。
俺は「幾つ必要なんですか? 値段はねぇ~」とはぐらかした。
「予算はX千円しか無いの、使い道は被災地の子供たちに使うのよ、工作材料に」

結局120個買ったが、被災地、被災地と何度も言って値引きも強く要求してきた。
繰り返される被災地用という言葉に俺はほだされてしまう。
「10個は無料でサービスしますから」

被災者のために協力しない俺が悪物でもあるように恨まれそうだ。
でも、実は俺も被災者の1人であり、店の復興に全身全霊で取り組んでいるのだ。
その強引な言い方は、自分たちだけが正義で協力しないのは悪物だという偽善があるんじゃないだろうか?

自力更生することで、行政に迷惑もお世話もかけないという主義だ。
ボランティアかどうかは知らないが、黙して助けてあげればイイのではないだろうか。
やはり俺の大嫌いな偽善者にしか思えない。