リサイクル親父の日記

第389話 もう戻れない、仕事もないし、放射能も・・・

2011/09/23

震災義援の家電の買取依頼だった。
「新品の冷蔵庫、洗濯機、テレビを売りたんですが・・・」
「日立の製品ですよね、3点ですか? 買取しますよ」いつものように答えた。

「部屋狭いし早く取りに来てもらえますか? 今日とか明日とか?」
配達時期が遅いから義援の家電品を持て余す人がいる、それがリサイクルに出回るのだ。
「これからでも行けますよ」と暇な俺は答える。

「そうしてもらえるんだったら助かります、邪魔で困っているんで・・・」
広瀬川沿いのアパートの二階で、冷蔵庫と洗濯機が和室に置かれてた。
30代の夫婦に小さな三姉妹ではあまりにも狭苦しい。

「地震の後に、そうね10日過ぎだから3月20日過ぎに南相馬市から引越したんですよ」
あの慌ただしい中で南相馬市から引越したことが驚きである。
「オール電化のアパートだから、電気と水道が復旧したら生活に不便は無くて助かった、女が多いしね」

俺は思い切った仙台への引越しに迷いが無かったのかを聞いた。
「それは・・でも、仕事は無くなったし、放射能も子供が小さいし心配だった、だから直ぐに決めたんですよ・・
もう戻れないって・・仕事は何でもやろうと思ってたし」

「それで仕事は見つかったんですか?」
「なんとかね、今の現場が青森で、単身で行ってますよ」
アパート探しも仕事探しも相当早くやってるから意外に早く見つかっているのだろう。

「いつかは南相馬に帰るんじゃないの?」
「いや、もう帰らないっすよ、仙台に住むつもりです」
幼稚園児を筆頭に三姉妹はキャッキャッと遊んでいる。

無邪気な子供の声とシリアスな夫婦との会話のギャップの大きさに俺は胸が痛む。
地震と津波は天災だったが、どうやら放射能は人災のようだし・・・
何と人生とは理不尽なのか、それでも頑張って生きなきゃいけない。