リサイクル親父の日記

第481話 書ける時、書けない時・・・

2011/12/27

ブログを書く時に、話題が見つからずに書けない時が往々にしてある。
時間が無いほど忙しくて書けないのならば、嬉しい悲鳴である。
しかし、そんな忙しさは経験が無い。

店が暇で暇でしょうがない時は、書く時間はたくさんあり過ぎるほどだ。
そんな時に書けばいいのだが、何故か書けないという有様。
俺の場合は創造してるわけではなく、実体験を書くだけだから簡単だと思う。 

しかし、日々の体験で毎日ブログに書くことが起きているかどうかは疑問。
するとどういうことかというと、暇な時には何も心に響くことが無いという現実。
ある程度の忙しさがないと書くことが起きないとなる。

それは店が好調の証しであり、俺も充実して仕事に取り組んでいて、注意力も観察力もアップしている。
当然、感受性も高くなっていて、アンテナが高い状態だろう。
些細なことも感度良く捉えられるし、レスポンスもグッドってことになる。

ひとつの体験から、昔の経験や情報が結びついて話にできる場合が多くなる。
頭の中で点と点が勝手に繋がっていく感覚だ。
こんな時はスラスラ書けてしまう。

それにしても、何処の何方が俺のブログを読むのかと気になる。
友人や知人が時々感想を言ってくれるので、それには勇気ずけられている。
同業者の何人かもいて、励まされる場合がある。

アクセス数を見ると毎日5~60件から12~130件のようだ。
俺のブログにしてはアクセスが予想外に多いかなと思える。
愛読する「起業の目」というサイトがあり、俺にはとっても有益。

比べるのはおこがましいが、俺のは有益なんて事は無い。
リサイクルを通しての人間観察羅列でしかない。
俺の独善的価値判断で切ったり張ったりしてるだけのものだ。

誰かに喋ることも、ブログで伝えることも考えを吐き出すということでは同じだ。
手段は違っているが、考えを出して、誰かに分かって欲しいという潜在意識があるのかも知れない。
1人にでも理解してもらえれば俺は嬉しいと感じる。

寂しさのつれずれに・・・陽水の歌の歌詞かな・・
分かってもらえること、やりがいにも通じる。
楽しくってことは、有意義に充実してってことでもある。

来年も読んでいただければ嬉しいです。