リサイクル親父の日記

第501話 見積書管理は、しないのが管理でして

2012/02/09

もう30年以上も前だから昔のことである。
サラリーマンであり営業をしていたから、見積書は相当な数を作ってた。
小さな地方の漁船メーカー、それでも新造船建造見積は数億円になってしまう。

船員の希望を聞いて、船主の意向を反映して、造船所の特徴を出したものにする必要がある。
装備する機器もあるし、それぞれのメーカーの選定も加わるので、数ヶ月に渡る検討と調整もある。
一つのパターンができていれば、次からは修正くらいで済むので割合作り易くなる。

同じ漁獲方法の漁船が続けば作業がし易いが、異なる場合には一から練っていくので結構複雑である。
多い年には年間15隻建造していたから、見積書は数倍以上提出したし、種類も多岐に及んだ。
船主への営業、船員へのアプローチ、船主の接待に送り迎え、メーカーとの協議、調整などなど・・多忙を極めていたんだなぁ~~~それに俺も若かったんだなぁ~~飲んだり食ったり電卓叩いたり・・・ヘトヘトだったなぁ~~~

修理船の見積は案外パターン化できていた、車の車検に近いかも・・でも、パターンにない工事は面倒だったよなぁ~~~
工事方法の検討から始まって材料を考えて工数考えてっと・・・
その経験が生きているのか、リサイクルショップとして見積書を作るなんて朝飯前ってことだ。

品物を検品して販売価格を想定して、搬出手間代を差し引いて検討して最終調整するだけ・・・
ある倒産した観光ホテルの什器備品買取の時には、サッパリ予想ができずに困り果てたことがあった。
その時には逆転の発想をして、破産管財人の弁護士の心情を考えて当てずっぽうで見積もったっけ。

見事(?)成約できてからが大騒ぎになり、10人で5日間かけて搬出して運搬して、更に現地即売会をした。
利益はあるにはあったが、10人の宿泊など経費が想像以上にかかってしまったっけ。
だから今は、デカ過ぎる買取よりは日々日常の少々買取をコツコツこなす方がベターだと確信する。

昨年12月後半に仙台市青葉区一等地のビル、事務所移転に伴う事務機などの買取見積。
そこそこ良品事務機で俺は買取したいと思ったから、少し頑張ってみた。
「見積書をファックスで構いませんから・・・1月に会議にかけてから結果をお知らせできると思います」

大手ディベロッパー仙台支店、総務部の彼女は的確に伝えているが、俺にはちょっと鼻にかけているように見受けられた。
1月いっぱい返事を待ってたがなしのつぶて、これはよくあることで断られたということである。
見積書は昔はファイリングして腐るまで(?)永久保存してたが、リサイクルショップではやらない。

結果が判明すればお終い、成約した場合は作業終了時に廃棄。
一定期間待って返事がなければ同じく廃棄。
2月になってからいつものように廃棄した筈だった。

ケータイに聞き覚えのある女性からの電話があった。
「もしもし、エ・・メ・・ア・・イ・・ディ・・・のXXですが・・・昨年お願いした見積の件で・・」
カタカナ社名を電話で聞いても一瞬何を言ってるのか分からない。

でも声は聞き覚えがあるし、「青葉区の・・・・ビルの・・あ、ぁ~~えぇ、そうですか~~」
「それで、日程ですが、来週にでも・・・いかがでしょうか?」
慌てて引出の中の見積書を探すが見当たらない、住所も見積内容も分からないのでは洒落にならない。

「すいませんが、どうやら見積書を紛失したようなので・・そちらからファックスしてもらえませんでしょうか?」
「はぁ?えぇ、分かりました」
と冷笑をしながら答えていた。

電話を終えて俺は予定を組んで、彼女に伝えるべく電話した。
「人の手配もできたのでX日にお願いします・・・それと・・見積書見つかったので・・」
又しても冷笑されたが、そんな見積書管理でしかない。