リサイクル親父の日記

第539話 遊休資産を売んないと・・・

2012/04/22

大震災のダメージが大きかったから遊休資産を売る。  
石巻店は冠水のため全商品濡損廃棄、トラック廃車ということだった。
建物一部被害に電気系統新替えという具合で復旧に莫大な費用がかかった。

震災直後にメインバンクに掛け込んで融資を取り付けた上で復旧に専念したんだ。
2月間強で店は再開できたが、トラックの納車までは更に数ヶ月かかった。
2重ローン的な支払いは経営としてはきつすぎる。

街の相当部分が消滅した石巻ではマーケットが縮小していた。
俺の店は以前よりも利益を上げないとローンが返せないという切実な問題が残る。
特需は確かにあったし、だからと言っても商品サプライが思うようにはならない現実だ。

この時のジレンマは耐えがたかった。
セリやオークションは暴騰してるし、無理して仕入れて高い値段で売るのは自分が許せない。
店をやってから初めて感じた欠品の多さと俺自身の力不足。

トラックが納車された10月頃に以前の状態に近づく。
しかし商品が充実して利益が増大する訳ではなく、あくまでも以前に近づく程度。
ローン返済原資として利益を大きくしないとならないが簡単にできるはずはなく、不可能なのだった。

良策はないかと思案をした結果、遊休不動産を売ることにした。
古家だが2階建の家は1階が倉庫で2階が住居、郊外の開発地域で場所としては有望に思える。
以前は俺もそう思って手に入れたが、果たして誰かが同じ思いをするか分からない。

売り家の看板を取り付けると、たくさんの問い合わせが殺到した。
ほとんどが借りたいということだが、俺はまとまった金を手にしないとならない。
買いたいが資金手当てがつかないという人も相当いた。

まぁ被災者がほとんどで、借家の申し込みを断る時に胸が痛んだ。
先日電話があった。
「幾らですか?・・そうか・・わたし、XXXだったら、直ぐ買うわよ、どうですか・・」

女性の声でビシバシと言ってたが、会話中に気づくと日本人ではなかった。
翌日直接会って家の中を見せて説明すると、「検討します」と歯切れが悪くなる。
電話での指し値はどうしたんだ、外国人のハッタリとひやかしかと感じる。

俺は、例えば不動産仲介業者が入れば支払い手数料が出るし、買主に多少の値引きも考慮した建て値を付けてた。
彼女の指し値では売らないが、妥協点を伝えた。
翌日の電話、「わたし、買います」

どうやら家は売れることに決まった。