リサイクル親父の日記

第601話 改めて悲惨さが胸に迫った

2012/08/22

友達が東京からやってきた。
朝ホテルに迎えて、女川に直行、石巻漁港、日和山、石巻市内、次に東松島市から松島海岸、塩釜、仙台新港へ、仙台の荒浜、名取市ゆりあげ、岩沼の仙台空港と被災地を案内して回る。

現在の俺の日常生活では被災地域を目にしなくても仕事ができるし、浸水地域だった石巻店周辺は復旧している。
津波で破壊された建物も家も現在は殆どが解体撤去されてしまい、一面は更地。
そこは雑草が生い茂って遠目からでは、原っぱにさえ思える。

近づいて見ると基礎コンクリートが現れて、建物跡だと分かる。
その連続は続いてて相当広範囲に集落全体、街全体に及ぶという事実を改めて知らされる。
海岸近くや街の一角にはガレキの山が巨大な長方形で浮ぶ。

巨大な一角に片付けや仕分けの重機が数台、像の背中に上るありん子のようにはいずり回る。
あの日、あの時が脳裏をよぎる。
俺は前日に荒浜に配達だった、一日違いで津波に遭わずに済んだ幸運。

何人もの人が幸運に感謝をしてるが、逆に不運を嘆かずにいられない人もかなり知っている。
余りにも甚大な被害に言葉は出ないが、不条理や無情感と無常観を知る。
被害者の人何人にも会っているけど、いつも俺はうつむくことしかできない。

慰めも憐れみも同情も全てが空虚に思える。
荒浜の海水浴場の前に慰霊碑があった。
京都からの大型バスから大勢降りて来て、皆皆が手を合わせている。

高台の女川病院の駐車場には入れ替わり立替わりして眼下の更地を眺めていた。
ゆりあげの小高い日和山にもチラホラと来てた。
もう直ぐ1年半になろうかとするが、当事者には昨日ことに思えるし、いつまでも忘れることができないことだ。