リサイクル親父の日記

第608話 何でも買えるが、これは格別な味だよ

2012/08/30

がむしゃらに仕事をしていっぱい金稼いで、それでもってイイ暮らしをしたい。
イイ家も車も、なんでもイイ物を欲しくなる。
食い物もイイ物、イイ物と追い求めて、その為に金を稼ぐって、これは物欲の塊だわね。

そんな人生をやってたなぁ~、と思うこともある。
凄く極端ではなかったけれど、ある程度のイイ暮らしを目指していたし、踏ん張っていた。
欲望追求は貧しかった小さい頃の対極でもあり、金を得て何でも手にしたかったのだろう。

ある時から大金持ちになれないことも自覚はできたし、普通の生活が大切だとも気づいた。
6~7年前に高血圧になってから、ちょっと考えが変わった。
暴飲暴食的で成金趣味気味な生活習慣、食や遊びを大幅に修正したっけ。

35年前に行った広島のジャズ喫茶ではロゴ入りコーヒーカップを買ったし、今も持っている。
30年前に買った腕時計を十数年ぶりにしてみると、その頃のことが懐かしい。
同僚の事務のおばさんからいただいた焼物は毎日お茶を飲んで使い続けてる。

25年前にシアトルのアンティークショップで求めたフクロウのペーパーウエイトは今も目の前にある。
これらは特別大事にした意識はないのだが、いつも必ず手元にある物として必要不可欠だった。
だけど四半世紀以上も一緒なので、俺にかけがえのない物になってしまった。

金には変えられない思いが詰まってしまったようで、多分死ぬまで離さないだろう。
オンリーワン、俺にとっての俺だけのメモリーグッズだから、誰にも分からないよね。
ロレックスよりも、マイセンよりも俺にはずっと大切。

先日、何人かの友人たちと会った。
持ち帰った自家製の梅酒を食前酒に御猪口でいただく、思い出も一緒に浮かんで、唯一無二と化す。
冷やしたスイカは売り物より甘みが少ないけれど、子供の頃を想起させる。

せんべいは東京の味がしたし、彼と過ごした学生時代も一緒に運んできたようだ。
いつからか価値観の転換が間違いなく俺の中であって、それは俺にとって感激できることなのだ。
金じゃなくて、金で買えないものに魅力を感じたり、好感を持てるようになってる。

俺っって成長したよね、そう自分に言い聞かせている。