リサイクル親父の日記

第651話 37年経ってても、直ぐ分りますね

2012/10/23

リサイクルショップも小売業だし、開けて何ぼである。
開店営業して始めて売上ができて成り立つ。
俺は経営者ではあるが同時に店員でもあるから、運営上店には必要不可欠。

売上低迷した5~6年前からは少数精鋭なので、俺もよっぽどでないと店を空ける訳にもいかない。
交代で休むという方法はある訳で、しかし、それも精々一日という感じ。
誰彼とゴルフに行ったりは皆無であり、飲み会も必要最小限に抑えてる。

あれもこれも楽しみを犠牲にしてるのではなくて、制約の中で何かしらの楽しみを見つけてる。
お客さんとの丁々発止のやり取りやネゴであり、これが極上のやりがいでる。
経営するってのは生きるか死ぬかってことで真剣勝負だから、スリルとサスペンスの醍醐味が大きく深い。

では、それほど店が忙しいのかと考えるとそうではなくて、在店してないと大きな商売を取りないがさないかと不安が起きるのであり、それが恐怖感を生んでいるだけなのだ。
電話は突然かかってくるし、その買取がイイ内容ってことがしばしばあったのは事実。

いつものように漫然と店に居たら・・・
見慣れない番号からケータイにかかってきた。
それは同級生からの連絡で・・・それで、その夕方に仙台駅近くの牛タン屋で一杯てなことになった。

彼の出身は秋田県、卒業以来初めての再開であり、なんとも37年経ってた。
仙台駅正面の2階遊歩道橋(?)でケータイを耳に当てながら遭った。
仕事の関係で塩釜に来てて、宿泊が駅近くのホテルだった。

互いのヒストリーとファミリー状況を説明した後、昔話や今後について意見交換をする。
喫煙できる牛タン屋で俺には最適だから、旧友が来た時にちょくちょく行く店。
何故かその夜は超満席で外で並んで待ってる人がたくさんいたな。

生ビール数杯、いも焼酎をお湯割りで1本、俺には少し効き過ぎだったけどとっても美味い。
「あと1~2年で定年だよ、どうしようかソロソロ考えるよ・・・」
現在では年金で悠々自適を思うよりも、第二の人生が物凄く長いから、どのように過ごすかは真剣な悩みでもあろう。

「食う心配はなくても・・・人の生き方はそれだけじゃないし、何かやった方がイイよな」と、俺は気楽にアドバイスした。
「お前は定年なくてイイよね」って羨ましがられる始末。
「そうだよ、俺は身体が動くまで一生続けるよ、それが自営業さ」