リサイクル親父の日記

第693話 絶対的な貧困よりも、ゆたかさの中のささやかな格差がときにより深くひとを絶望させるのだ。

2013/10/04

この言葉、俺の好きな作家の橘玲(たちばな あきら)の昨日読んだ「億万長者になるなんて簡単だ!」の結論部分。
日本やアメリカ、ヨーロッパの先進国では億万長者になるのは難しくない。
そこそこの収入があれば、節約倹約した暮らしをして、コツコツ蓄財すれば、誰でもはオーバーにしても相当の人が成れるそうだ。

別な記事でも似たことが書いてあったが、考えてみれば納得もできる。
サラリーマンでコツコツ小額を貯めて蓄財して、それを長期間やってると、相応に貯まってるって理屈。
俺の場合で振り返ると、コツコツはしてなかったし、若い頃に起業したから、貯めるどころじゃなかった。

いつも借金を負ってるが、ローンと暮らしのために夢中でやってきてる。
店を買ったり、倉庫を買ったり、その度に借金してやり繰りしてる。
それでも長く続けててローンが減ったり、無くなれば、資産として不動産が残るってことだ。

絶対的な貧困よりも、ゆたかさの中のささやかな格差がときにより深くひとを絶望させるのだ。
奥深い言葉だし、俺なりの理解としては、
何十年も前の幼児期は、誰もかれもみんなが貧しいっていうか、貧乏が普通であって、恥ずかしくも何ともなかった。

高度経済成長やバブルで豊かになってきてたが、見方を変えると物質だけのことだった。
同時に生活全般において何でもかんでも金がかかる仕組みになってて、金がないと凄く惨めになってしまう。
物と金がイコールで金権主義が幅を利かせてるし、金がないと野垂れ死にしそう。

金がないという状況は極端でも、上述の「ゆたかさの中のささやかな格差」を知って、ひとは深く絶望してしまうかもしれない。
家も車も何でもが揃ってるゆたかな生活であっても、誰かと比べて、自分の生活の貧弱さや惨めさを痛感してしまう。
向上心の裏返しの自虐的な精神は、その生活を絶望に導くのかもしれない。

でも、それは絶対的貧困から見ると、贅沢な悩みやあり得ない考えにしか思えない。
起業して、絶対的な貧困になりそうになったこと、破産しそうな場面が数回あった。
あの1~2年の苦しい頃のことは、今でも時々夢に出てくる。

夢だと分かってて・・・それでも寝汗がビッショリで、自戒の念を持つ。