リサイクル親父の日記

第736話 新年に思う

2014/01/05

元旦がとっても穏やかな日和だったから、それだけでイイ年だと感じてた。
2日の薄い雪なんて気にもならず、やっぱりイイ年だと錯覚は続いた。
単純さがイイ場合もあるし、あまり考え過ぎずに今年も能天気にやりたいなぁ~~と。

年末年始は帰省した息子や親戚と会ったり、そしてチョビッと近況を聞いて、それでお終い・・
初詣もあるし、例年恒例行事として続けてるが、家族総出だったのが年々同行者が減ってる。
今年は我ら夫婦に次男の3人で出かける。

三陸自動車の最北インターンチェンジで降りて一路南三陸町へ、そして気仙沼へ。
震災被害地を時々見て回ってる俺の関心力なのだが、復旧を願う思いからでもある。
年末31日にも東松島市の海岸沿いを隅々まで、それに石巻の雲雀の埠頭の瓦礫処理ヤードも・・・

個人的なことではあるが、岩手県大船渡市から福島県いわき市までの海岸部を見てる。
何かのきっかけや近場へ行った時は必ず被災地を見るようにしてる。
その時々の感情が俺の心に沈澱してて、いつか誰かにこの思いを伝えたいと思う。

年を取ったためだろうか、年末年始のテレビが面白くないの・・・
BSなど有料は契約してないからしょうがないが、だから結構教育テレビからチョイスしてる。
「100分de名著」の「幸福論」が心に染みた。

文学、経済学、哲学、心理学の各専門家が名著を紹介して幸福の示唆を行う、そして意見を戦わせる。
井原西鶴「好色一代男」、「好色一代女」、アダム・スミス「国富論」、ヘーゲル「精神現象学」、フロイト「精神分析入門」。
読んでみたと思ったことがあったけど、どれも読んでいない。

番組を見てて感じる。
そ、そうっかぁ~、そうだったんだ、やっぱり、俺だってそう思ってるよ・・・
どうして分かるの、それって俺のこと、俺が考え、迷ってたこと、なんでも知ってるんだね・・・
抑圧(貧乏)から解放されて自由(稼げて)になって幸福を探して彷徨って

大昔の作者や学者は悟ってたのかどうかは知らないが、現在にも十分に通じてる。
ずっと感じてるが、人間自体が個人として本質は変わってなくて、生まれてどれくらい努力や勉強するかによって左右する。
偶然現代の日本で生まれ育って、一応の自由を得てる、努力の結果として貧乏からも抜け出てる。

その上での幸福って何だろうかと思う時、答えがいつも変わっていることに気づく。
それはフロイトの論法では、無意識があらわれるということらしい。
それで俺は少し自分自身が分かった気がした。

少年時代に自我が芽生えて形成される過程で、俺は時々の目標を作って頑張ってた。
目標が達成されるととりあえずは満足できるが、直ぐに又更なる目標を作らないと漂流してしまう。
だから、だから俺は常に目標を作るとか、目標を無理に探し出したりしてる。

それが分かっただけでも俺は自己探求の半分クリアって感じだ。
だから、この番組を見て「幸福」を考えてる俺には、それこそが幸福なのである。
そして俺はリタイア後の目標も作れてる幸福がある、俺は語りべになるぞって。