リサイクル親父の日記

第810話 NPOさん達に感謝です

2014/04/20

買取依頼の電話だったが・・・
話が進むと、「相手が東京から電話してます」と言う。
「・・なので、年式とかは・・ここでは分からないのですが・・」

いつ頃買ったかだけを聞くと、「3.11震災後でして・・ボランティアで何人も暮らすために・・・」
場所を聞いて、「それでしたら、大丈夫ですよ、買取できますが・・」
「3部屋分だから、各3台ありますね、一部屋に集めてありますけど・・・」

電話で会話してるうちに、俺は「あの時」がまざまざと蘇った。
そして、東京からボランティアで仙台に来て3年も助けてくれてるんだ・・・なんか感動が・・・
「えぇ、日時は合わせますので」と湿った心で請け負った。

当日の午後1時は晴天で気温も高くて絶好の花見日和。
八木山動物公園の近くで大きな賃貸マンションは山の上だったから直ぐに分かった。
敷地ゲートに管理棟があって、守衛さんから行き先を聞かれる。

「・・あそこだね、ほら見えるだろ・・ベランダにゴミを出してる・・・」
遠目に数人の男性が開け放たれたサッシ戸付近に見えた。
トラックを指示された側、建物後方に回して、出入り口付近に止めると、青年が微笑んで近寄って来た。

その階段を数段上がって通路を5~6メートル進んだ部屋だ。
廊下を通ってリビングに、その脇の和室に品物が少し乱雑気味に置かれてる。
冷蔵庫や洗濯機は年式は問題なかったが、使用感があって、男が使っただろうことは容易に想像できた。

扇風機や炊飯ジャー、照明器具などもあった。
俺の一番期待してたテレビが・・・予想に反してるんだ。
アナログが1台、液晶が1台、しかし、液晶テレビも古くて地デジ対応じゃなかった。

そっか、そうか・・震災で完全地デジ化が遅れたんだっけ。
それでアナログでも見れたんだ。
あの頃は液晶テレビもそれなりに高かったからね、節約してアナログだったんだろう。

俺は年配者の男性と交渉して買取をまとめた。
それから、当時のことを聞いてみたら、「神戸の時も行ったから経験あったしね、でも、津波は酷かったよね」
俺も店の被害などを説明した、お互いに苦労を語り、何か共通の連帯感が少しわいて・・・

「本当にありがとうございます」
何故か自然に俺はお礼の言葉が出てきた。
そして、俺たちはみんなで買取品をトラックに積み込んだが、和気藹藹でフレンドリーで懐かしい感覚だった。