リサイクル親父の日記

第826話 ゴッホを見に・・・

2014/08/16

例年お盆に2日間休業してる。
俺も墓参りなどと人並みに行動するが、娘たちを仙台駅に迎えることもあった。
仙台駅東口で迎えるが、その前に時間を作って宮城県美術館に行く。

するとどうだ、駐車場が満杯に近い、これってやっぱりゴッホの力なんだろうね。
年に数回、気にいった展示があれば行くのだが、こんな混雑は初めてだった。
入場券も並んで買うのだ、勿論、展示室もゾロゾロと超スローで歩くしかない。

解説を熟読する人も居るから、大渋滞(?)も起きてるし、俺はスイスイとパスしてるが・・・
ゴッホの前は人だかりで停滞甚だしくて、絵の前に行くには時間が相当かかりそう。
人並みの後方から眺めると、人の頭が邪魔でしょうがない・・・

それでも立派な額にスポットライトに浮かぶヒマワリは幻想的でもあり・・・
何を思えばイイのか分からないが、値段が高いんだとか凄いんだとか解説言葉が巡るのだ。
美術の歴史や解説を知らない俺としては、ただ・・ただ凄いんだ、高いんだぞと納得するしかない。

翌日は伊豆沼の蓮の花を見にいって、和船に乗って蓮の花の中を巡った。
沼の水面から蓮の茎が無数に上ってる、それに蓮の葉も何枚も折り重なりながら水面に浮いたり上ったりしてる。
その中に淡い桃色の蕾、花弁の開いた薄い白に近い桃色、枯れ気味の花々、花弁が落ちて実(種?)が点在する。

オオ~~これは正に極楽浄土の世界なんじゃないのか・・・
仏画の世界そのまんまで、お仏様がそこにあってもおかしくないし、むしろあった方が似合うな、なんて思った。
沼の泥から美しい薄桃色の花を咲かす、汚れてる世俗を美しく生きましょうと言ってるようだ。

ゴッホが絵に没頭して世俗を超越してしまい、ある種の狂気を持ってしまった。
画壇の汚れから超越した世界に向かった、きっとそうなんだよね。
それは自己探求の究極だったんだろう・・・あぁ、ゴッホ、少し分かったようなことを書いてしまった。